挫折とかそういう話

初投稿だなー
何書こうかと思ったけど、自分を表現するのに必ずしておかないといけないことがあって、今日はそれのお話。

挫折の経験とそこから変えられる人生があるって感じのやつ。

中学生の頃に初めて挫折しました!

僕は勉強もまともにせず、とにかく遊びまくっていたんですけど、中学の時にバスケと出会って、先輩後輩とかそんな感じの上下関係も学びました。

小学校の頃からとにかく”他の人と違う人間”になりたくて、とにかく練習しまくってました。ほぼほぼバスケをするためだけに学校に行ってたぐらい・・・笑

1年生である程度部内で注目されるぐらいまでになって、”バスケで高校も行って、将来選手になる”これぐらいの目標は立てていました。

そのためにとにかく練習してました。

ただ、ある日の練習試合で左足の前十字靭帯を断絶しました。



当時状況もよくわかってなくて、初めてギブスつけたーぐらいのテンションでした。いつか治るって思ってました。

ギブスを外す日になって先生に言われたのは、
“靭帯が回復しませんでした。完治させるには手術が必要です。しかし、完治しなくても生活には支障はでません。足の筋肉を発達させれば大丈夫です”
“しかし手術しないのであれば、高校バスケはおすすめできません。”

・・・・へ??まじ??

じゃー手術しよ!って思っても、お金も無く家族で話し合った末、中学バスケは最後までやって、その後は諦めることとなりました。

なんかこんな感じのやつ?

最早なんにも面白くない

これが所謂世界がグレーにみえるってやつかーって感じで白黒な毎日でした笑

正直いける高校ないぐらいには勉強ができなかったし、やる気も起きないし、とにかくめんどくさくてどーしようもないやつでした。

とりあえず、ネットゲームやったりとか、ゲームやってる引きこもりの友人の家に遊びにいくとかそんな毎日を過ごしてました。

この時、今みたいにEスポーツとか流行ってたら間違いなくこの道でがんばる!ぐらいの勢いでゲームやってたかもだけど、その時はもうゲームなんて時間の無駄ぐらいの時代だったので、僕が遊べるゲームはパソコンを使ったゲームしかありませんでした。(所謂MMORPG、PS2とかその辺のやつは成績悪すぎて没収・・・笑)

ちなみに、小学校のころからパソコンは触っていて、インターネットってくっそ楽しいって思ってました笑
僕がつかってるyahooのアカウントはその当時作ったものです笑

このあたりの話はまた次回書こうかな・・・

人生を変える瞬間は意外といきなりくる

いつものように中学の友人(絶賛引きこもり中の友人)の家に遊びに行ってゲームの話したり、漫画読んでたある日

”これ懐かしくね??”

って出してきたのがハイパーヨーヨーのステルスファイヤーっていうヨーヨーでした。

僕もかなり小さいころやっていたので、懐かしくなって適当に触ってたら、引きこもりの友人が”お、いまヨーヨー再販してるっぽいで!”

っとのことで、いろいろ調べていくうちに1本のYoutubeの動画にたどり着きました


復帰したときのファイヤーボール なつい笑

もうまさに目が点というか、衝撃的すぎて興奮しまくったのを今でも覚えています笑

その興奮の勢いのまま友人とヨーヨーを買いに行きました。

”絶対に同じようにステージでやってやる”

このことしか考えていませんでした。
毎日毎日練習しました。

家が厳しかったので、毎日勉強も本気でやりました。一様高校にいけるぐらいにはなれました笑

多くの人との出会いを経験した

当時の集合写真(ヨーヨードンブリから)

なんてったって、周りのやってる友人は誰1人とおらず、引きこもりの友人と僕しか近くでやってるやつはいなかったです。

しかし、インターネットのおかげで全国のヨーヨーやってる人たちと繋がることができました。

僕たちと同じきっかけでヨーヨーをはじめるひとも居て、意気投合してオフ会のようなこともよくやることになり、気付けば友人の数は100人を越えていました。

もうこの時点で挫折したことすら忘れて無我夢中でやっていました。

当時年齢制限があったmixiをこっそり高1で初めて、マイミクの数は300人を余裕で越えていました・・・笑

初めての全国大会決勝出場それからアジアへ

いろんな人に支えてもらって、全国大会の決勝に出場することができて、この辺りでスポンサー契約をしたいって言ってくれるブランドが出てきてくれました。

スイスのヨーヨーブランド HSPINというブランドとスポンサー契約を結び、とにかく僕のわがままをいっぱい聞いてもらった記憶があります笑

僕意外にも引きこもりの友人も別のブランドでスポンサー契約をし、お互い切磋琢磨しながらあの時目指した舞台に立てるようになりました。

その後高校を卒業するころ、学生生活最後の挑戦ということで、シンガポールで開催された”Asia pacific yoyo championships”というコンテストに出場しました。

スポンサーとかもついて”有名人”っと思うかもしれませんが、日本でだけで世界ではまだまだ無名選手でした。ただ、この頃は日本の全国大会には常連で出場していました。

とにかく隙間時間も全ての時間を使って、鬼のように練習しました。

結果はみんなの支えもあり、アジアで4位になることができました。

1位を目指してがんばったけど、そこには届きませんでしたが、一気に有名プレイヤーになることができて、海外の友人もたくさん増えました。

このときまだ日本ではほぼ誰もやっていないFacebookと出会い、友達の数は1000人を越えていました。

アジア大会の時 若い笑

これは予選だけど・・・

その後社会人になり・・・

その後は、社会人をやりながらも選手としてがんばって大会にも出ていました。
ブランドの移籍や、広告にも出てみたり・・・笑


多くの経験と、多くの人との出会いをしました。
中学のころの挫折から高校までの期間で、人生が大きく変わりました。

大会運営したり・・・・
ヨーヨーの広告をしたり・・・笑

挫折をしても、もう一度やり直せる

絶対にいつかみんな挫折を1回は経験すると思うんです。
僕もこれ以外に何度も何度も経験しました。けど、それは挑戦してるから絶対ついてくるものなんだと思います。

逆に挫折せずに進んでしまう方が大きな変化に耐えれなくなっちゃうので、この先怖い!
挫折のタイミングや失敗は、自分ががんばってる証。

人生を変える運命的な出会いは、空っぽになった自分にいきなり入ってくるものだと思うんです。まじでいきなり。

で、気付けばそんな挫折も笑話になってたり、このwebサイトに投稿できるぐらいになってたりするもんだと思うんです。

大きな挫折を経験した時は、あまり目を向けられないかもしれないけど、自分の人生まだまだ長い事、自分の歩める道は一つではないこと、ここに目を向けて進んでみると、意外と人生うまくいくもんだと思いますよっ


っと今回はこの辺にしておきますねっ!次の記事であいましょー!

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2 件のコメント

  • ヨーヨーすごい!
    なんで糸が絡まらないんですか?😳
    お話も成長過程が分かりやすかった。
    楽しい!と思ったことに飛び込む
    ことが大切なんですね😁✨

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    ABOUTこの記事をかいた人

    Shinya Azuma

    デザインとかwebとか映像とかやってます 結構飲めます 最近バスケちょっとやってます ヨーヨーやってた人かもしれません。2020年ダイエット中