社会に絶望しても大丈夫。意外と世の中おもしろいぞ③

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無事”パソコン”を使った仕事につくことができた

無事社会に一度絶望してから、3ヶ月で”パソコンを使って仕事”につくことができました。
とにかく、もうガチでガムシャラに仕事をしていました。
もちろん社会に出たのは1ヶ月だけだったので、仕事の電話なんか出れるわけもないし、かけることもできません。声も震えて、まともに喋ることすらできませんでした笑

昔からそうなんですが、僕は練習の鬼な自信はあるので、電話も先輩の喋っているのをひたすらメモして難波のマクドでイメージトレーニングをしまくって、2日でマスターしました。

ただ事務的な仕事をこなすだけということに2ヶ月ぐらいで一通りマスターして、遺影写真制作(フォトレタッチ)をしたくてたまらなかったので、会社に居残りしてひたすら先輩の見様見真似で練習しまくりました。
そうすると、特別に研修してもらえることになって、1ヶ月ほどでだいたいの画像加工はできるようになりました。

このあたりで、入社して半年でどの先輩よりも高いスキルをつけることができました。

できない自分を認めて、できる人の倍練習すれば絶対に越えられることは誰よりも知っていたからだと当時から思っていました。

19歳最後になり初めて”大きい仕事”をまかされる

アルバイトとして入社してから半年以上がすぎ、会社にも慣れてきたころ、初めて大きな仕事を任されることになりました。
すごく有名な方が亡くなられて、その方のお別れ会で使用する映像制作とメモリアルパネルというウェルカムボードのようなものの制作でした。
納期は1ヶ月。

喪主を納得させられるようなコンテンツ作成が求められました。

ただ、そんな映像作ったこともないしふるーいeMacで遺影写真の作り方覚えたての19歳によくその仕事任せたなって今でも思いますが、後から聞いたら”どう考えてもお前しかできるやつおらんかったやん”っとのことでした。
これは多分気持ちの部分だと思います。

余談ですが、この時初めて最新のiMacを自分用に買ってもらいました。
この日のことは今でも忘れられなくて、iMovieの直感的に使える感じや、最新MacOS(スノーレオパード)のUIの快適さや何よるパッケージ開けたときの歓迎されまくる感じに興奮しまくって、自分の家用にバイト代使ってその日にMacminiをAppleストアに買いに行ったのを今でも覚えています。
本当に感動した。今でもAppleユーザーでこれ以外考えられません。

とにかくいろんな工夫を凝らして、このお別れ会のコンテンツ提供は大成功に終わりました。自分の成果物が人に感謝されることがこんなにも気持ちのいいことなのかって初めてしりました。

めでたく社員になる

そして、20歳になり、今までの努力が評価されて入社して1年たったころ正社員になることができて、晴れて社会復帰することができました。

この時ちょうど会社も大きな変革期にきており、代表者が変わって今まで営業として働いていた人がKさんに変わりました。僕はこの新しいK社長に育てられました。

僕は社員に、Kさんは社長になったとき、毎晩のように飲みに行ってコミュニケーションをとっていました。

これから会社を向かわせて行きたい方向や僕への期待などいろんなことを話しました。
僕は制作意外にも社内のマネジメントもしていく立場になったため、マネジメントに関してとにかく勉強しました。

また、K社長には経営についてのマインドや数字の追いかけ方、顧客管理、原価計算など事業部を経営するというマインドセットをとにかくガンガンに詰め込んでもらいました。

自分たちで商品開発をするほうほうや、それを営業する広告の作り方まで、幅広く知識を詰め込むことができました。

とにかく仕事に夢中でした。そんな中成人式があったんですけど、それはそれは全く話があいませんでした笑

変革期1年目 僕たちの会社は過去最高業績を出すことができました。
人生で初めて受け取ったボーナスは最高だった・・・笑

人材育成での失敗

ここまで順風満帆で、僕の悪い癖ですが完全に調子にのっていました笑
自分がここまで短期間で成長できたんだから、同じように他の人もできるだろうと思ってしまったんです。
これは大きな間違いでした。人それぞれ特性もあるし、ペースがある。
だけど、できると思ってひっぱっていましいた。それで起きたのがアルバイト全員退職っていう事件でした。

後にも先にもこれが一番いままででやらかした事件でした。
猛省し、再度募集をかけて同じ間違いをしないように人材育成に関して勉強して人を育てていきました。

この時に育った人たちは今でも会社の第一線で活躍していたり、僕の今の仕事を手伝ってくれていたりします。

人材育成で最も大切なのは、

  • 相手の特性を見極めて、その人に合った育て方をすること
  • 全てにおいて本質をしっかり説明すること
  • 体験させること

これだとおもいました。

東日本大震災を経験

僕が勤めていた遺影写真の会社は全国に葬儀社のお客様がいる所謂BtoBビジネスをしていました。現地にPCとスキャナーとプリンタを設置して、リモートで遺影写真の印刷や礼状や追悼DVDのライティングを行っていました。

2011年3月11日は僕がお世話になった先輩が退職する日でもありました。
僕はその当時課長として現場を管理する職種になっていまし。
当時21歳です。

仙台では有名な葬儀社様とのお取引があり、昼過ぎに打ち合わせを電話でしていました。
軽い昼食をとり、疲れてトイレで座りながら少し眠っていました。
時間になり、現場に戻ると「東さん、さっき地震きましたねー」っと言われ、全く寝ていたから気付きませんでしたーっと笑いながら話していたのを覚えています。
その後アルバイトのスタッフが「やばいです!さっきの地震震度7以上の大きな地震だったみたいです!」
さっきまでの眠気は吹っ飛び、とにかくお客様に電話をするも断線状態。PCのリモートは繋がるところとつながらないところがあったため、チャット機能で連絡をしてみるも反応なし。。。

とにかく現場を落ち着かせるために、他の作業はスタッフに任せてとにかく、状況把握をすることに専念。

石巻市のお客様と連絡が付いて、状況を聞くとプリンタなども吹っ飛んでとても仕事ができる状態じゃないから、また落ち着いたら連絡するということで電話をきり無事であることにホッとしていました。

その30分後
石巻市が津波に飲み込まれていました。

Ustream で仙台の様子がLIVE配信されてると知って、チェックしてしりました。この世で起きてることとは思えない光景にただただ節句。

上司と電話が繋がり、今後の対応について話し合いを行い、とにかくできることをやることになりました。

とにかくやるしかない

震災3日後1通のFAXから全てが始まりました。
”僕たちは無事です!これから会社の復旧作業をします”
っと仙台のお客様からFAXが届きました。
石巻市のお客様も全員無事ということで、とにかく安心しました。

家がなくなってしまった方もいて、心苦しかったですがスタッフのみなさん、とにかくこの状況をなんとかしようと必死なことが電話で伝わってきました。

僕たちもできることがあればなんでもしようと思った時でした。

この日から何千枚という被災した写真の加工や遺影写真制作、追悼DVDの作成が始まり、難易度の高い画像加工を専門に対応していました。

水に濡れた家族写真や学校の集合写真、顔が半分なくなってしまっている写真の復元。心がえぐられるような気持ちになり、勝手に涙が出てくるような経験をしました。


被災地はもっと過酷な状況で掘り起こし作業などをされていると聞いていたため、僕らはがんばれました。

当たり前だったことがいとも簡単に当たり前えではなくなる。
明日を生きたかった人たちがどうしても生きられなかった今日を生きているって考えるようになりました。

自由な大人と出会う

東日本大震災での仕事が落ち着き、僕は22歳になっていました。この頃、毎朝起きて満員電車に揺られている自分に疑問を抱くようになりました。

“いきなり死ぬこともあるかもしれないのに、こんなぎゅうぎゅうの電車に乗って今日も激務をこなすのかー”

これを思った次の日から電車通勤をやめて自転車通勤にシフトしました。
時間がかかってでも自転車通勤をするようにしていました。

また、”自分の知らない世界をみてみたい”と思って、僕個人の名刺を100枚印刷して、”ヨーヨーパフォーマー”として交流会などで名刺を配りまくりました。
すると、名刺のデザインが評価されて、名刺のデザイン依頼を個人で受注することになりました。

これが僕個人の初めての事業でした。
200枚を3000円オリジナルデザイン費込で受注していました。
この破格の値段でやっていたのことにも理由があるんですが、これはまた別記事にしようかな・・・っと思います。

名刺をご依頼いただいた方の中で1人圧倒的に他の人と違うって感じの人と出会いました。
その人は世界飛び回っていて、さまざまなビジネスで成功している人で、本も出版していました。
その方に、なんでそんなに自由な生活ができるのか聞いたところ、”7ポケット”を持つことが大事なんだよ
って言われました。

収入のコントロールが自分でできる7つの収入が必要。

なるほど・・・っと思い、もっと自分のビジネスを広げて行きたいと思うきっかけになりました。

当時パラレルワークという言葉がなかったし、副業が推奨されてもいなかったけど、会社とは違う外の世界を真剣にみてもみたいと思ったので、仕事が終わってから個人事業としてwebデザインやDTPを請負で受注するようになりました。

この時僕の2人目のお客様がこのサクペリ運営しているだてりゅうほうさんでした笑

とにかくがむしゃらに、本業と副業の時間的なバランス調整をしながらやっていました。
できなことも、できるといって仕事を受注していました。

この個人事業の延長で友達と西成区の町おこし企画をして、西成区に人を300人集客したり、会社をつくったりとアクティブに動き回っていました。

あらたな挑戦と決意

副業である程度のお客様もついたころ、本業では新たな挑戦が始まろうとしていました。

ある日ワインバーでK社長から”東くん来月ベトナムに1ヶ月いってくれない?”っと言われました。正直こいつ何言ってんだよwwっとか酔っ払ってんのかなーwwって思っていたら次の日しっかりスケジュールに”ベトナム打ち合わせ”って入ってて頼むから夢落ちであってくれって思っていました・・・笑

ベトナムに遺影写真の制作部をつくって原価を抑えるというプロジェクトでした。
現地へ2度渡航して、ベトナム人のスタッフ3名に僕の技術を丸々教えました。
今まで経験したこと全てを落とし込むような気持ちで教えました。

そして3名が成長して、最前線で制作できるベトナム事業部が完成しました。
今でもこの当時作った僕の仕組みで事業部が運営されているようです。
それぐらい完成度の高い再現性のある事業部を作り上げました。

ベトナムプロジェクトが終わり、もう僕がこの会社で学ぶことはないかもしれないと帰りの飛行機で感じ取りました。

環境に慣れてしまっている自分が怖く、一生今のステージで仕事している自分が想像できなくなり、退職を考えているところに、当時僕の個人事業でのお客様からのヘッドハンティングをいただき、退職を決意しました。

それが今、執行役員をしているジュネル株式会社というネイルウェアという商品を開発しているメーカーです。

19歳のころ、遺影写真の会社に就職できなかったら今の自分は間違いなくない。
もう一度人生やり直したとしたらまた遺影写真作りたいと思うぐらい、大好きな会社でした。

多くのことを学んで、多くのスキルを身につけ、人としての厚みを増してくれた会社に心から感謝をして退職しました。

退職したからには、とにかく好きなことを好きなだけ仕事でできる環境を作りたくて、ひたすら案件をこなしました。

努力する方向性とは、自分がやりたいことの本質を分析して探し、その意志をぶらさずに淡々とその目標にむかって取り組み、選択して進んでいくことだと思います。

そうすれば必ず結果がでて、自分を取り巻く世界が間違いなくかわります。

現在

えーばちくそ忙しい毎日を過ごしています笑

10年前の自分にいってやりたい言葉があるとすれば、
”お前がやりたいと思っていたことは全部10年後取り組めてるぞ。だから安心してがんばれ”

努力は必ず報われるわけではなく、努力をする方法や中身はしっかりと本質を見極めて突き進むことができた努力だけが報われると思います。

とにかく”なぜ?”を繰り返し自分に問いただすこと。

その結果最適な努力の仕方がでてきます。

僕は今合計で30個以上のプロジェクトを毎日こなしています。
やりたいことを仕事にすることはとにかく大変だし、仕事になってからももっと大変です。

だけど、やりたいことを頑張っている自分が一番輝いている自分だとおもうんです。

そして本来人間はそうあるべき。1度きりの人生、人に選択される人生でいつづけるんじゃなくて、自分で選択する人生にシフトチェンジ。

一度社会に絶望したやつでもできたぜ。
これから頑張ろうと思っている人の勇気になれれば良いな。

PS:なんか自分の伝記みたいになってしまってキモいな笑
でも、所々に伝えたいことを盛り込んでいます。

誰かのためになったらいいなぁ〜

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6 件のコメント

  • この表現が適切かわかりませんが、面白かったです。人の人生の流れを聞ける、点と点が結ばれる感覚は、読む人に刺激になりますね!
    きっと書いている事で、自分の人生の棚卸しみたいになるんだろうな、と私も書いてみたいと思います✨

    • そうそう!僕ももう今年で30なんで、人生の棚卸しになりました笑
      いろんなことを思い出すことができてよかったですよ☺️

      僕の20代がこれからの20代が参考にいつかなればいいなーって思います⤴️

    • 考えて行動して、とにかく手を動かすしか生きるすべがなかっただけなんですよね😂
      努力はすごく大きな力になるし、努力を夢中に変えることができればもっと人生楽しくなると思っています☺️

      だれが見てもかっこいい大人になれるようにがんばります⤴️

    • 6年まえぐらいに初めてあった時から今まで本当にいろんなことがありましたね笑

      みんなにそう言ってもらえるようにがんばるっすー👌

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    ABOUTこの記事をかいた人

    Shinya Azuma

    デザインとかwebとか映像とかやってます 結構飲めます 最近バスケちょっとやってます ヨーヨーやってた人かもしれません。2020年ダイエット中