盆中である。お供えするものが以前はまだ何かあったように思う。盆の祭り方をしっかり継承していないことに、今さらながら気づいた。祖父母が存命していたころは、当たり前に行われていたことが、私にはできない。
世を去る日がわからないからか。教わるのはいつでもできる。そういう意識もあったかもしれない。そもそもこのような祭事を軽視していた部分もあろう。
日々の生活、はっきり言うなら労働が大切だから。そう言い訳しながらここまで来た気がする。それがゆたかさにつながったろうか……
今夜は夜勤である。盆中に家にいないのは初めてである。母をショートステイに送り出したが、戸惑いながらも了承してくれた。
昨年の夏は新盆だった。その際にお坊さんが、なすときゅうりを刻んだものを供えるのは、餓鬼が飲み下せるようにするためだと話していた。それを作って仏壇に置く。
ゆたかなくらしとは……
経済やお金の流れを無視する仙人のような暮らしは飛躍し過ぎているので僕は好きじゃないです
けれども、日本の文化や伝統の中にこそ豊かさの源泉があったり、自分のルーツを知ることで生きる意味を再確認できると思ってます
そして僕は自分の人生をきっかけにこのような記事を書いてくださる方が出てきていること自体に、「あ、僕の行動っていみあったんだなぁー」と再確認しています(^^)
ありがたい限りです
ありがとうございます。最近、兼好法師も今で言う不労所得が入る目処が立ってから、悠々の生活に入ったと知りました。大切なのはゆたかさのなかにいる自覚が持てるかということだと改めて思います。気づきをありがとうございます。