雨の道

きのうは雨のいちにちだった。髪の毛が伸び放題になっていたので、理髪店に行った。9時の開店からわずかに過ぎたころに着いたが、店員から昼の12時の受付になると言われた。扉は開放されたままにされ、2人ずつお客を中に入れるという方法を取っていた。

時間があいたので、食料品を買っていったん帰宅した。案外買い物は時間を食う。母の食事の支度をして再度理髪店に行く。ほぼ定刻どおりに私の番が来た。マスク着用のまま髪切りを受けるのだが、邪魔にならないか理髪師に尋ねると、問題ないと言う。マスクの耳かけゴムをクロスさせた。つまりX形をつくり私の耳にかけなおした。コロナ禍に対応する工夫である。久しぶりにさっぱりした。

移動は車で行っている。不足している日用品を求めにホームセンターに寄ることにした。間もなく着こうかというところで、車内におかしな震動が伝わってきた。エンジンが動悸を起こしているような音を出している。ボンネットから湯気が立っているのに気づいた。

水温計わ見ると針が赤色部分を振り切っていた。

〈まずいオーバーヒートだ〉

ホームセンターの駐車場は見えているが、あいにく信号が赤に変わってしまった。エンジンよ、まだ止まらないでくれ、まして燃えないでくれと願いつつ、悪夢のような待ち時間だった。

ロードサービスを頼むと思いのほか早く来てくれた。車はレッカー車に載せられ、いつも車検などを受けている量販店まで運ばれることになった。

「三密を避けるため、申し訳ないですが、お客さまを乗せるわけにはいきません」
レッカー業者が言う。もっともだろう。足代を請求できるのでバスかタクシーを使ったらどうかと提案してきた。

私は歩くことにした。ホームセンターから量販店まで、国道を一直線である。車はけっこう通るが、歩道に人影はほとんどない。歩くと自然考えごとを始める。私の自家用車はミラジーノという軽自動車である。初年度登録が平成13年と車検証にある。7、8年くらい前に中古で購入した。

ほぼ毎日のように乗っていた。車は休む間もなかった。あまり家族を乗せたことはない。父との関係があまり良好ではなかった。休日もなにかと理由をつけては、この車でとりあえず出かけてしまう。昨年、父の遺骨をこの車に乗せることになるとは、当時は思いもよらなかった。

私の車両への愛情は、単車に偏っていた。手入れもろくにしていなかった。今にして申し訳なく思う。車は確実に年を取っていた。歳月はあっという間である。

まっすぐの道を歩いて量販店に着いた。雨ではあったが、歩きながら考えるのは悪くない。スマホを見ると約4キロの道のりだった。そぞろ歩きにはいささか長かったか。

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4 件のコメント

  • まるで小説を読んでいるような叙情的な文章で素敵です。「雨の道をあるく」ということが今と昔の思いを交錯させる、ひとつの非日常の体験になったのかもしれないですね。

    • もっちさん、ありがとうございます。そうですね。私のようなシチュエーションではなくても、歩きながらいろいろ思考するのは良さそうですね。ちなみに書くのは省きましたが、歩いている最中、『ラピュタ』の「ドーラ、エンジンが燃えちゃうよ」、「泣き言なんか聞きたくないね!」のやりとりが脳裏に浮かびました。

  • 言葉の奥に絵が見える文章ですよね。
    写真は一枚しか貼っていないのに、読みながら映像が流れてきました。
    なんだろう。
    こんな文章書けるようになりたい・・・。

    • だてさん、ありがとうございます。過分なお言葉でたいへんにありがたく思います。独りよがりな文章にならないよう、こころを配っていきたいと思います。

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